著者/渡邉謙二さん
有明の海、愛し訴えて…。
滅びていった小さな命への鎮魂歌
今回の出版が第3作目、短歌を始められたのは?
中学校の頃からでしょうか。学校帰りにみんなで集まって句を詠み合ったり講評をしたりしていましたね。母に短歌の手ほどきを受けて育ちました。母が短歌の先生でしたね。
干潟と出会ったのはいつ頃から?
昭和32年の諫早大水害の当時、私は県の総務部の地方課に居て、当然水害の調査や救済活動にあたっていました。多くの人々が命を落とすなか、浅い干潟のおかげで助かる人も多かったことを良く覚えています。多くの命をのみ込むのも干潟、そして尊い命を救ったのもまた干潟だった…、自然の恐ろしさ、生かされる命というものをまざまざと感じました。
そして数年後また干潟を訪れた時、その美しい光景に心を奪われ、当時の恐ろしさはいつしか干潟への愛おしさに変わっていました。それから諫早に移り住み、干潟の歌を詠むようになりましたね。
乾
くれなゐの干潟の華のヒチメンソウ 来年には消えむ潟の死にては
乾
干満のあらぬ異変にムツゴロウ・ワラスボ 戸惑い潟ふかくゐむ
念
干潟返せ・海を返せのプラカード 旗押しきてて漁民絶叫
見出しは全て漢字1文字、渡邉さんのさまざまな想いの凝縮を見るようですね。
そうですね、干拓に関しては実にさまざまな問題が絡み合い、難しい所です。ですが、伝えたいのは目の前の干潟の美しさ、干潟に棲むちいさなちいさな生き物への愛おしさただそれだけなんですよ。
ご自宅には油絵や篆刻(てんこく)、そして陶芸作品など、実に多才な一面をのぞかせる渡邉さん…
何かに心動かされたとき、それを表現する手段はさまざまです。歌を詠むことも、絵も、篆刻(てんこく)も、そして陶芸も、すべて“物事を多面的にとらえること”だと思うのです。この作品でもそうですが、干潟に対しての愛情や敬意、恐れ、常に“多面”的な想いを込めて詠んでいます。
最後にこれからの抱負を。
じつはまだ10年分の歌が残っているんです。第4歌集を作るのが今の目標。これからも有明の干潟を見つめ、ちいさなちいさな命の叫びを訴えて続けていきたいと思っています。
小さな命が懸命に生きている、利害も、イデオロギーも超えて…。
渡邉さんの歌は、まぎれもない母なる干潟への愛でした。“有明”とは月明かりがまだありながら夜が明けてくる美しい音。干潟、そしてちいさなちいさな生き物たちの夜明けを願わずにはいられません。