編著者/宮田 豪さん・荒木 孝さん
『冀東(きとう)』という第二の満州国があった
宮田天堂氏著(戦前)の、中国華北地方に存在した冀東政府ならびに冀東特殊貿易の秘話を付録と資料を付け加えて復刻!
聞き慣れない言葉ですが、「冀東政権」とは?
冀東の「冀」は中国の河北省の別称で、冀東は河北東部を意味します。混迷する昭和初期の中国の政治状況下で、国民政府の統治を嫌って北支の各地に自治運動の機運が盛り上がり、正式名称は冀東防共自治政府として昭和10年11月25日に成立しました。日本の九州程度の広さで、当時の中国においては稀に見る安定した社会が実現したため、「東洋のデンマーク」と呼ばれました。
満州国の治安維持のため緩衝地帯として蒋介石の国民政府の支配から分離し、親日政権を作るという日本の国策から華北分離工作の一環として行われました。
難しい旧漢字がいっぱい印刷されていますが、復刻出版されようと思われたのは?
原本は、昭和13年9月に発行されました。できるだけ原本のまま復刻したほうが著者の思いや、当時の様子が正確に伝わると考えました。ただ、読みやすくするために、ふり仮名は振ってあります。
復刻出版の目的は、著者が中国国民政府や、西欧諸国に影響を与えた冀東特殊貿易の陰の最高責任者の立場にあり、今までの歴史書には書かれていない冀東政府の海関設置に関する新事実を公表することにあります。
復刻の後に付録編・資料編が随分多く付け加えられております。出版までのご苦労があったのでは?
そうですね、資料収集については、70年も昔のものですから、とても苦労しましたが、欲しい資料に出会えた時の喜びは例えようがないほどでした。付録編は以前に、戦前の父を紹介していただいた小冊子三編を載せています。
資料編は冀東政府に関するものを中心に、関東軍、右翼、事件など多くの関係資料から抜粋しています。これらの資料で歴史的内容を検証し、理解していただけるものと思います。冀東政府に関して言えば、よくぞこれらの資料が保存されていたものだと改めて日本文化の素晴らしさを実感しました。
最後にお父様はどういう方でしたか?
父の戦前のことに関しては、母や私たち子供に全く語ることはありませんでしたが、五島の田舎から上京し日本大學へ進学するときは世相が国粋、皇道主義が盛んな時で当時の青年は大志を抱いて国のために命をも惜しまない気風を持っていたようです。父は五・一五事件の判決の日、時の海軍大将に対し割腹による抗議を行いました。
戦後は家庭を持ち、昔の片鱗を思い起こさせる雰囲気もありましたが、家庭にあっては子供のしつけは厳しかったですが、とても優しい父でした。
天堂さんの長男で歯科医をされている宮田豪さんとボランティア仲間の荒木孝さんがお二人でまとめられました。お忙しい中、休日も返上されて大変だったと思いますが、冀東政権の魅力に没頭され目を輝かせてお話になる姿に羨ましさも感じたインタビューでした。